「安馬」の由来は、入門当時「年寄・安治川」だった師匠・伊勢ケ浜親方の「安」と、モンゴルでは家庭の一部という「馬」を組み合わせた。昨年11月、立浪一門の名門「伊勢ケ浜」に名跡変更を機に、幕下以下の力士は大幅に改名。親方は出世頭の大関昇進を機にと決断した。
会見した伊勢ケ浜親方は「最初に『日』をつけようと思った。太陽という意味がある。相撲界に陽(ひ)をかざして、大輪の花を咲かせてほしい。それ と僕の『富士』を入れました」と説明した。日馬富士は「こんなすごい名前をもらってうれしい。親方の名前をもらったので、それにふさわしい成績を残した い」と笑顔で決意を語った。
大関昇進の伝達式を終え、笑顔を見せる日馬富士=福岡県太宰府市の太宰府天満宮で2008年11月26日午前10時56分コート上で、肩が震えていた。崩れ落ちそうなひざを必死で支えた。小椋と潮田、2人で歴史をつくった9年分の涙がコート上にこぼれ落ちた。立ち見 も出た超満員3200人の観客から、拍手が鳴りやまない。抱き合い、ともに「ありがとう」と言葉を交わすのが精いっぱいだった。
5連覇に死力を尽くした。小椋は持病の腰痛に加え、2日前の準々決勝で右足をねんざ、左ひざにも故障を抱えた。潮田も連戦の疲労による右ひざの テーピングが痛々しい。「今日は悔いがなく、最後の最後の最後まで戦おうと思っていた」(潮田)。これが最後という気力だけが2人を突き動かした。
「一生忘れられない試合になった」(小椋)。名勝負だった。第1ゲーム、20-20から延長に入り、オグシオがつかんだ6度目のゲームポイントで 決着がついた。第2ゲームは最後に6ポイント連取で逆転。300試合を超えるオグシオの歴史は、潮田のバックのストップ・ショットで幕を閉じた。
12月のチーム戦日本リーグでともにプレーする可能性は残るが、ダブルスのペアとしては、事実上最後の試合となった。
高校卒業の時、九州出身の潮田は地元企業への進路が内定していた。だが、三洋電機に入社が決まっていた小椋が毎日のように電話をかけ、潮田を口説き落とした。「一緒にダブルスを組んで五輪を目指そう」。それから9年間、家族以上に2人はともに生きた。
きずなは別れの時も深かった。この日、潮田から初めて「ペア解消」の経緯が告白された。「実は、オグッチ(小椋)に『違う子と組んでロンドン五輪 を目指したい』と言われていた」。だから、北京五輪後の潮田は、現役続行か否か揺れていたのだ。2人の目から再び涙があふれた。
最後の試合の後に事実を公表しようと、事前に2人で決めていたのかもしれない。「決別」を告げた小椋からは言いにくいことだ。自らの口で明かしたのが、潮田の小椋への気遣い、ロンドン五輪へのエールに映った。
新しいバドミントン人生が来年から始まる。「これからは小椋久美子と潮田玲子という個々として応援してほしい」。2人はオグシオという重責を脱いで、それぞれの道を歩み始める。ガンバ大阪は、試合開始直後の前半4分と15分にFWルーカス選手が2得点、そのまま逃げ切り快勝した。日本勢の優勝は昨年の浦和に続いて2回目。最優秀選手(MVP)には、大会3得点9アシストのガンバ大阪の遠藤保仁が選ばれた。
ガンバ大阪は、12月11日から日本で行われるトヨタ・クラブワールドカップ(W杯)にアジア代表として初出場し、世界の頂点を目指す。


